【伝統行事】七五三の歴史や言い伝えを紐解く

【伝統行事】七五三の歴史や言い伝えを紐解く

七五三は日本の伝統行事なので、小さいお子様のいる家庭では一大イベントですね。しっかり着物を準備し、せっかくの晴れ着姿なので写真スタジオ(フォトスタジオ)も予約されるご家庭も多いことでしょう。神社に参拝し、ご祈祷も受け、お子様の健やかな成長を親族一同で祈願する七五三は、お子様の成長過程にとっても、とても重要な意味を持つ行事ですね。
しかし、誕生日やクリスマスとは違い、七五三は伝統行事ならではの重みがあるため、事前にたくさんの準備をし、しきたりなどの理解もしておくべき必要がある行事です。

しかし、いろいろ準備を進めてはいるけど、伝統行事である七五三には、そもそもどのような意味があり、どのような言い伝えがあるのか。そこまでは理解できていない。という方も多くおられるのではないでしょうか。今回は、七五三の歴史や、古くからの言い伝えについて、紹介したいと思います。

七歳までは神様からの授かり物

そもそも、昔の日本では、子どもは「七歳までは神様からの授かり物」と考えられていました。医療も発達しておらず、栄養分も不十分だった時代には、赤ちゃんがしっかり育って大きくなり、成長していくことは特別なことと考えられていたのです。そのため七歳になって成長するまでの子どもは、人間として育っていながらも、まだ神の国に生きている存在とされていました。だから、三歳、五歳、七歳の節目ごとに儀式を繰り返すことで、魂をこの世にしっかり定着させ、これからも子どもが健康に長生きできるように。と祈願していたのです。

そして、そのような不安定な子どもの時期を超え、子どもも七歳になると「男女、七歳にして席を同じうせず」と言われるようになりました。これは、七歳にもなると、もう大人の仲間入りをしているのだから、男女の性はそれぞれ違うものだという認識をしっかり子どもに持たせなければいけない。という意味がこめられている故事成語です、幼いうちは神の国の住人だった子どもが、人間社会に入り、一人の人間として歩み始め、大人になっていくことが表現されてもいるのです。

七歳の節目は当時の日本人にとってとても大きいものであり、だから、七歳になるまでの三歳、五歳、七歳の節目は、神様に子どもの成長を報告し、祈願することが、とても大切な儀式とされていたのです。

  • 髪置きの儀
  • 袴着の儀
  • 帯解の儀

時代を振り返ると、七五三には起源となった儀式がそれぞれあります。三歳の男の子・女の子に対して行う「髪置きの儀」、五歳の男の子に対して行う「袴着の儀(着袴の儀)」、七歳の女の子に対して行う「帯解の儀(おびとき)」が、それです。

髪置きの儀

三歳で男の子・女の子が行う「髪置きの儀」は、平安時代に始まりました。平安時代には、産まれてすぐに子どもの髪の毛を剃り、三歳までは丸坊主で育てる習慣がありました。三歳までの間、髪の毛を剃ることで、後に黒い健康なしっかりした髪の毛が生えてくると考えられていたからです。しかし、三歳になった頃からもう赤ちゃんではなくなったという意味で、髪の毛を伸ばし始める儀式を行います。その際に、糸で作った白髪に模した綿白髪を子どもの頭の上に乗せ、長寿を祈願したことから、この儀式は「髪置きの儀」と呼ばれるようになりました。

袴着の儀(着袴の儀)

五歳の「袴着の儀」(着袴の儀)も、同じく平安時代に始まった儀式です。五歳頃になったら、男の子は当時の正装である袴を身につけるようになるため「袴着の儀」という儀式が行われていました。これは、大人と同じ袴を身に着けられるくらいに、少年に成長しました。という子どもの成長を祝う意味がこめられています。

帯解(おびとき)の儀

七歳で女の子が行う「帯解きの儀」は、鎌倉時代に始まりました。この歳頃になると、女の子は、紐のついた子ども用の着物から、帯を巻いて着る大人用の着物を着るようになります。帯を巻くということは、まだまだ小さかった女の子が、立派に成長したと喜ばしいことだったため、付紐をはずし、帯を初めて巻く儀式として執り行われたのです。

このように、七五三の儀式には、それぞれの歴史上の起源があります。当初は、これらの行事は主に皇室や公家、武家などの慣習として執り行われていましたが、明治に入り一般庶民にも広まり、七五三と呼ばれる行事として定着し、現在まで受け継がれるものとなりました。

通りゃんせ

神社の鳥居

このような、歴史ある伝統行事の七五三なので、日本の古くから伝わる童歌にも七五三が関わる歌があります。「通りゃんせ」という童歌は有名ですよね!これは、七五三の様子が描かれた歌だと言われています。歌の歌詞を見てみましょう。

  • 通りゃんせ 通りゃんせ
  • ここはどこの 細道じゃ
  • 天神さまの 細道じゃ
  • ちっと通して 下しゃんせ
  • 御用のないもの 通しゃせぬ
  • この子の七つのお祝いに お札を納めに参ります
  • 行きはよいよい 帰りはこわい
  • こわいながらも 通りゃんせ 通りゃんせ

少し不思議な歌詞ですが、この歌に出てくる「この子の七つのお祝いに お札を納めに参ります」という歌詞は、七五三のために、天神様をお参りしに行く様子が描写されているようです。

少し不思議で、少し怖くも感じる世界観が表現されたこの歌詞には、諸説の解釈がありますが、「行きはよいよい 帰りはこわい」という歌詞には、乳幼児の死亡率が高かった江戸時代、「七歳までは神の子」とされていた子どもが、七歳に人間の世界に仲間入りができるかどうかわからない。といったような意味あいも含まれていたようです。

実際、江戸時代には、子どもがその土地の氏神様の氏子として認められ、当時の戸籍のようなものをもらえるのは七歳になってからだったようです。それくらい、子どもが七歳という関所を無事に通れるかどうかは、当時大きなハードルだったということです。

このように振り返ると、医療も栄養状態も社会環境も発展した現代とは違い、昔の日本では、子どもがしっかりと七歳まで育つことは、とても大きな意味のある喜ばしい出来事であったことが伺われます。

しかし、時代が変われど、子どもを思う親の気持ちに変わりありません。現代の親にとっても、やはり、子どもが三歳、五歳、七歳の節目を迎えてくれることは大きな喜びなのです。しっかりと、意味を理解した上で、家族みんなでお子様の成長をお祝いできる特別な一日として、七五三を迎えられるようにしましょう。

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